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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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国清寺

                                高知県浦上キリシタン関連史跡

浦上キリシタンが暮していた


高知市にある臨済宗相国寺派の寺院。
元々は「見龍院」という寺があったのですが、明治維新後の廃仏毀釈(国の神道国教化政策による仏教排斥運動)により廃寺になり、長崎から流配されて来た浦上キリシタンが収容されました。

浦上キリシタンが後の1880(明治13)年に、京都相国寺の独園大禅師がここに参禅道場「退耕庵」を開き、後に「国清寺」となりました。


国清寺

国清寺


「国清寺」には、浦上キリシタンの収容所となった「見龍院」の面影は残されていませんが、門前の解説板には詳しい説明が書かれています。

明治政府のキリスト教弾圧によって、高知県には116名のクリスチャン(代々隠れて信仰を守ってきたキリシタンの末裔で、多くが長崎県浦上村の者だったので「浦上キリシタン」と呼ばれる)が流配されて来ました。

彼らの収容所の一つとなったのが、廃寺となっていた「見龍院」でした。高知に流されることとなった信徒たちのうち、まず戸主25名が赤岡に送られ、投獄されたのですが、18ヵ月後にここ「見龍院」に移されました。戸主らに遅れてその家族91名もまた高知に来て、江ノ口の牢に入れられましたが、後に「見龍院」に移されて来ました。

後年神父となって九州各地で活躍したパウロ本田保は、ここから脱走して神戸のヴィリヨン神父の元に行き保護されました。浦上キリシタンは明治6年に解放され、故郷に帰ることを許されたのですが、高知に流された116名のうち、42名(39名とも)がそれまでに死亡していました。これは浦上キリシタンが送られた諸藩の中で最も高い死亡率です。


国清寺解説
国清寺解説
国清寺
国清寺
国清寺
国清寺
国清寺
国清寺
隣の掛川神社
隣の掛川神社
掛川神社解説
掛川神社解説
掛川神社
掛川神社
掛川神社
掛川神社



 
現地への行き方
「薊野(あざみの)駅」から徒歩約5分。高知市薊野中町8-35。



この地図は大体の位置を示すものです。訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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