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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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桑名古庵の墓

                                高知県キリシタン関連史跡

46年間も牢に入れられた元キリシタン


高知市の北部、久万山にある元キリシタン桑名古庵の墓。
既に棄教していたにも関わらず身柄が解放されず、死ぬまで46年間も牢屋生活をしました。


桑名古庵の墓

桑名古庵の墓


1643年、同じ四国の蜂須賀家から山内家へ注進があったことがきっかけで、帯屋町で医業を営む桑名古庵がキリシタンの疑いで逮捕されました。

桑名古庵は兄 水也の勧めで洗礼を受けたものの、既に棄教していましたが、兄共々投獄されて厳しい拷問を受けました。水也が38歳、古庵が34歳の時でした。

翌年更に訴人があって、古庵の弟 休務もキリシタンであると逮捕されました。幾度も拷問を加えられましたが、水也と古庵は一貫して既に棄教したと言い張り、古庵は「自分がキリシタンになった時は若輩で何もわからぬまま兄に勧められて受洗しただけで、弟の休務はその時10歳でキリシタンになっていない」と証言しました。

桑名兄弟の吟味は高知で進められていましたが、投獄から2年後水也は幕府の指令で江戸に送られました。そこで拷問に耐えかねて、母親と異父兄弟の又右衛門もまたキリシタンだと口述したので疑獄は更に展開していきました。そのため又右衛門の弟 三平もキリシタンに違いないと逮捕連行されました。

結局桑名一族で投獄されたのは6人に及び、記録によると彼らの末路は以下のようになりました。兄 水也は江戸送りになったまま消息不明。拷問による獄中死か死刑と考えられます。古庵は入牢46年、80歳で牢死。休務は入牢37年、67歳で牢死。母は入牢10年、72歳で牢死。又右衛門は入牢5年、28歳で牢死。三平は入牢31年目にして許され出獄しましたが、4年後に61歳で病死しました。

古庵の転宗口供は数度の吟味や拷問でも一貫して変わらず、その反証も挙がらなかったので、これを解放すべきでしたが、土佐藩では慎重を期して彼らを放免しませんでした。また唯一三平のみ放免されましたが、三平を含めて桑名一族縁者は藩の厳しい監視の下に置かれ、古庵の娘は縁組も許されませんでした。

古庵が死ぬと遺体は塩漬けにされ、藩では江戸に飛脚を出して処置の沙汰を乞いました。古庵の妻はこれに先立って24歳で病死し、称名寺の寺請けで久万山に土葬されていました。今確認できるものとしては、古庵の墓の近くに、休務の娘 久(ひさ)の墓があります。一度商人に嫁しましたが、離縁して戻り、44歳で頓死して、久万山に土葬されました。


桑名古庵の墓入口
桑名古庵の墓入口
桑名古庵の墓入口
桑名古庵の墓入口
桑名古庵の墓への道
桑名古庵の墓への道
桑名古庵の墓への道
桑名古庵の墓への道
桑名古庵の墓への道
桑名古庵の墓への道
桑名古庵の墓
桑名古庵の墓
桑名古庵の墓解説
桑名古庵の墓解説
桑名古庵の墓
桑名古庵の墓
桑名古庵の墓
桑名古庵の墓
土葬の文字
土葬の文字
休務の娘 久の墓
休務の娘 久の墓



 
現地への行き方
高知市西久万。久万山南麓の道を山に沿って北西に進み、道なりに久万山北側に入る道に入り、道標から久万山の小道を登るとあります。



この地図は大体の位置を示すものです。訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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