眞如寺
松下長綱は1628年、福島の三春城主となり、1633年24歳の時、土佐藩主 山内忠義(山内一豊の養子で二代藩主)の娘である喜与(きよ)と婚姻しました。
喜与は山内忠義と正室の間に生まれたのですが、正室は伊勢国桑名藩主 松平定勝の娘で、定勝は徳川家康の異父弟なので、喜与は徳川将軍家の血を引いています。
松下長綱がいつ頃洗礼を受けたのかは不明ですが、1642年にキリシタンであることが発覚して、二年後に改易され、妻の実家である土佐藩山内家に預けられました。松下長綱が「発狂」したために、養父である山内忠義決断により、領地を幕府に返上することとなったとも言われています。
長綱は高知の吾川郡久万村に幽閉され、1658年に49歳で亡くなりました。 山内家の菩提寺、眞如寺に墓があり、法名は「日照院園室宗孤」。因みに妻 喜与は1685年に75歳で亡くなり、
称名寺に葬られました。